ダニエル書6回シリーズ第3回

 

                 「燃える炉の中へ」

                                      ダニエル3:13-30(旧約1384頁)

ネブカドネザル王が造った金の像を拝まなかったダニエルの3人の友人シャドラク、メシャク、アベド・ネゴは、バビロンの民によってそのことを王に密告されました。ネブカドネザル王は彼らを呼び寄せて、「おまえたちはわたしの神に仕えず、わたしが建てた金の像を拝まないというのは本当か。」(3:14)と問い詰め、今一度自分の前で金の像を拝んだら不敬を許すけれど、それを拒んだら燃える炉に入れて焼き殺すぞと脅しました。しかし彼らは「わたしたちのお仕えする神は、その燃え盛る炉や王様の手からわたしたちを救うことができます。…そうでなくても、王様の神々に仕えることも、お建てになった金の像を拝むことも、決していたしません。」(3:17-18)とはっきり金の像を拝むことを拒みました。

そのためネブカドネザル王はひどく怒り7倍に火力を増した炉に3人を投げ入れよと命じます。彼らは衣服や下着を着たまま縛られて、燃え盛る炉まで刑務官に連行され投げ込れてしまいます。7倍の火力にされた炉の火があまりに強かったので、連行した刑務官たちが焼け死んでしまったとあります。

燃え盛る炉の火がおさまってからネブカドネザル王が炉の中を覗くと彼らの身も着ていた衣服もまったく焼かれることなくそのままで、彼らと共にもう一人の見知らぬ人(御使い)がいたというのです。それを見た王は3人が信じている神はまことの神だと讃え、彼らを釈放し、高い位につけました。

「たとえそうでなくても」というキリスト者の安利淑(あんいすく)女史の自伝本があります。1930年代、日本に併合されていた朝鮮半島では朝鮮神宮を初めとする神社が次々と建てられ、人々は神社参拝を強要されました。これを拒否したキリスト教会への迫害は苛烈を極め、宣教師たちは国外退去、多くの牧師や信徒は大勢逮捕されました。そればかりか会堂もろとも信徒が焼き殺されるという提岩里(チェアムリ)教会虐殺事件まで発生しましたが、日本の教会の指導者たちは「国民儀礼」として拝礼をするよう説得するありさまでした。

1939(昭和14)年、安利淑(あんいすく)らは国会の傍聴席から「日本政府は悔改めて暴政を朝鮮から徹廃せよ」と書いた掛け軸を議場に投げおろして直ちに逮捕投獄されました。その後、安利淑(あんいすく)女史は日本の刑務所から平壌の刑務所に送られ、六年間の苦しみを経験したものの多くの受刑者が彼女を通してキリストを信じ希望と喜びの生涯へと導かれました。そして安利淑(あんいすく)女史は死刑執行される直前に日本に原爆が投下され、敗戦を迎えたのです。

「たとえそうでなくても」というタイトルは、本日学んだダニエル書3章18節の聖句から取られています。本日のダニエル書の物語に励まされて迫害を生き抜いた信仰者たちが歴史上に大勢いることを覚えたいと思います。先週ロシアでは戦争に公然と反対していたオルガルヒという石油や天然ガスの経営者8人が次々に不審死を遂げているという報道が流れました。無実の民衆を戦争に駆り出して殺し合いをさせる指導者たちに屈しない人々は今の時代にも世界中に数え切れないほどいます。

私たちはこれからいかなる理由においても戦争協力をしないという平和宣言交読文に生きることによって、やがて日本を非暴力的世界平和へと導く日本国としていくリーダーを教会で育てて参りましょう。

ダニエル書6回シリーズ第2回                                         ダニエル書 2:1-24(旧約1380頁)

 

「ダニエルは思慮と知恵とをもって」

 

  ここで新バビロン帝国のネブカドネザル王は幾度も次のような夢を見ます。その夢は「頭が金で、胸と腕が銀、腹と腿が青銅、すねが鉄、足は一部が鉄、一部が陶土でできた巨大に輝 く像が現れ、一つの石が人手によらず切り出され、その像の鉄と陶土の足を打ち砕き、巨大な像は砕かれて、もみ 殻のようになり、跡形もなくなる。そしてその石が大きな山となり全地に拡がっていく。」というものでした。

  王はこの夢を見たことを不安に思い、バビロンの占い師、祈祷師、まじない師、賢者を呼び寄せ、夢を解き明かすこ とを命じます。集められた彼らは王にどんな夢を見たのかを尋ねます。しかし王はお前たちが本当の預言者なら自 分がどんな夢を見たのか、言い当てその夢を解き明かすことができるだろうと詰め寄ります。しかし彼らは「王様 がお求めになられていることに応じられる者はこの地上にはおりません。」と返答したことで激昂し、バビロンの 知者たちを皆殺しにすることを命じました。

  王の命令を受けバビロンの知者たちを殺そうとした侍従長アルヨクにダニエルは思慮と知恵とをもって応対し、 私が王の夢を解き明かすと伝え、見事に王がどんな夢を見たのかを言い当て、その夢の意味も解き明かすのです。 王はダニエルが自分の夢を言い当て、見事に解き明かしたことでダニエルが信じ、彼を支えている神にひれ伏し、 ダニエルをますます重用するようになります。するとダニエルは王がバビロンの占い師や賢者たちを殺せと命じた ことを撤回してもらい、彼を祈り支えた3人のユダヤ人同胞を自分と同じように重用してもらう確約を王から得たという話でした。

 

  さてイエスは「風は思いのままに吹く。あなたはその音を聞いても、それがどこから来て、どこへ行くかを知らない。」(ヨハネ福音書3:8)と言いました。風とは聖霊なる神の業のことを意味します。神の業のすべてを見渡すことはどんな預言者にもできないのです。ダニエル書を理解するためには私たちが現代の預言者となり批判と取捨選択、教えの再構成をしていくことが必要です。ダニエルが王の夢を言い当てたことはフィクションだと考えます。 むしろ自分たちには夢を言い当てることはできないと言ったバビロンの知者たちの見解が正しいと思います。頭や上半身は金銀で足下(あしもと)は鉄と陶土でできていて、どこからともなく現れた石によってこの像が砕かれて散り散りになってしまうという夢はネブカドネザル王のセルフイメージが揺らいでいることの表れだと分析することができます。

  この物語は絶対君主である王の暴虐無人さともろさ、また彼が孤独であり真に理解し支えてくれる存在を求めていることを表していると言えます。誰よりも聖霊なる神への信仰が深く、賢明であったダニエルたちユダヤ人青年らが孤独な暴君であった王を理解し支えてゆき、他の側近たちが殺されようとしていたことを助け出したというと ころに私たち信仰者がなすべき使命が示されていることを学んで参りましょう。

 

  ひるがえって現代の日本に生きる信仰者である私たちに聖霊なる神が求めていることは何でしょうか。日本政府は元首相の国葬を国民が反対しているにも関わらず断行しようとしています。その先にあるのは平和憲法の改悪です。私たちは非暴力的平和を求める者です。ダニエル書の物語を通し、私たちがこれから成すべきことが何であるのかを指し示されてゆこうではありませんか。

ダニエル書6回シリーズ第1回                                 ダニエル書1:1-21(旧約1379頁)

 

                 「それでも神さまに」

ダニエル書は、イスラエル南ユダ王国が強大な新バビロン帝国ネブカドネザル王の侵略により、首都エルサレムが陥落し滅ぼされて、帝国の首都バビロンに捕囚されたユダヤの民が、さまざまな試練を乗り越え、どのように生き抜いていったかを描いています。

本日第1回は1章から学びます。南ユダ王国はバビロンから財宝を奪われるだけでなく、役に立つ者たちが捕囚されて、帝国の首都バビロンに連れてゆかれます。バビロン人(カルデヤ人)のネブカドネザル王の命令によって選りすぐられたダニエル、ハナンヤ、ミシャエル、アザルヤの4名の南ユダの若者たちは、それぞれベルテシャツァル、シャドラク、メシャク、アベド・ネゴというカルデヤ人名に改名させられ、カルデヤの言葉と学問を教えられます。

 

そして彼らは毎日宮廷で高官となるための教育を受け、豪勢な肉類や酒類を提供されます。ダニエルたちはまことの神を信じていたため、肉類や酒類を飲まないユダヤ教の食物規定(カシュルート)の教えを守らせて欲しいと侍従長に願い出ます。侍従長がそれで顔色が悪くなったら、王から首をはねられてしまうと言うので、10日間それを試させて欲しいと願い出て、10日後彼らがまったく血色が良かったので、そのことを了承されます。そうして彼らはバビロンの偶像神を拝まず、ユダヤ教律法の食物規定を遵守しまことの神を礼拝し続けました。

 

ユダヤ教律法の食物規定とは、動物の血抜きをしてから食す、汚れているとされた豚などを食べない、動物の肉製品と乳製品を一緒に食べないというものですが、ダニエルたちは野菜と水だけを食していたけれど、王宮で育ったどの少年たちより血色が良く賢かったとあります。ダニエルには幻や夢を解く預言者としての力が聖霊なる神から与えられていました。数年後彼らはバビロン中のいかなる占い師や賢者たちより賢かったので、王の最側近となり仕えるようになります。そうしてダニエルは預言者として王の知恵袋となり、幻や夢を解く者として重用されるのです。

 

先日の平和宣言交読文を学ぶ第9分科会の記録が完成し篠栗教会のHPに載せました。今日本では中国と台湾と米国との軍事的緊張の中で、中国台湾との国境である尖閣諸島付近の日本の領海が頻繁に侵犯されています。中国の軍事的脅威ゆえに軍備を2~3倍に増やすべきだと言う人が増えています。ウクライナ戦争で分かるようにたとえ防衛であっても戦争で殺し合いをすること以上に愚かなことはありません。それゆえ私たちはもし侵略の危機があっても戦争を永久に放棄するとの平和憲法を遵守します。軍拡し相手を警戒させず、軍事的緊張のある相手国らと忍耐をもって友好関係を結び、貿易や文化交流を通し東アジアを平和にしてゆくべきです。

 

非暴力的平和憲法を有する唯一の被爆国として核兵器禁止条約に批准し、世界を核廃絶と軍縮に導いてゆくのです。また万一侵略を受けたら抵抗をせず国を占領させます。ダニエルらのように強国の支配下にあってもなお神からの知恵で信仰者は用いられていくのです。私たちには彼らと同じ聖霊なる神から来る知恵と力とが与えられているのです。毎週の礼拝でこれからも平和宣言交読文を交読して参りましょう。